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2022/02/07





『今だから!植木等』発刊のお知らせ

私の寄稿文16Pが掲載された高田雅彦著『今だから!植木等ー“東宝クレージー映画”と“クレージー・ソング”の黄金時代』がアルファベータブックスより発刊されました。


登場人物:小松政夫・斎藤誠・砂田実・古澤憲吾・坪島孝・浜美枝・柳生悦子・竹中和雄・渡邊毅・高田梅三郎・小中千昭・谷啓・世良譲・渡辺香津美・山岸潤史 他・藤元康史

コロナ禍の渦中である「今だからこそ見たい!聴きたい!植木等の映画と歌」とのメッセージを込め、植木等研究本としてのリリースです。

著者とは、クレージー映画ロケ地巡りの企画である「成城・せたがや映画散歩」にて出会い、私のプロデュースしたMIEMU2017企画展「植木等と昭和の時代」制作において、大林宣彦監督へのインタビュー取材をコネクトしていただいた恩人でもあります。

著者は38年前に成城大学校友と音楽仲間のコネを駆使して自主映画「刑事あいうえ音頭」を製作・主演し、この作品に植木等、谷啓、桑田佳祐らにノーギャラ出演してもらったという伝説を残す人物で、本編を観た私はノリで出演したキャストたちと、こんなことがまかり通った時代に仰天した次第・・・

本書の起案にあたって協力を依頼されたため、微力ながらプロダクションへのコネクトや、資料提供、インタビューセッティングを協力させていただいた。

また、寄稿の依頼も受け、植木没後ますますその存在の大きさをかみしめている、この人無くして「植木等」はなかった植木徹誠老師と、我が師匠についてを巻末に16P掲載されています。

植木等・クレージー映画・音楽ファンはもちろんのこと、昭和・大衆・娯楽映画の解説本としても大変面白い内容となっており、お読みいただけると幸いです。

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本書は、東宝映画研究家でクレージー音楽のファン・マニアでもある高田雅彦氏が、1984年撮影の自主映画に植木等の出演を果たしてから38年持ち続けた夢の集大成と言える。

高田氏は本書にある通り幼少から映画・テレビでの植木等の大ファンとして育ち、上京して東宝撮影所の近所である成城大学に入学し、そして植木息女と校友であるコネを駆使して、砧植木家の庭で植木等を自主映画に出演させてしまい、その後クレージー映画・音楽研究を継続していたところ、これにとどまらずとうとう412Pに及ぶ植木等研究本の刊行に至ったのは、まさにクレージー映画ばりのホラを吹きあててしまった。

著者選定のクレージー映画7本と挿入歌の解説は、それぞれの時代背景やエピソード、証言を高田氏独自の取材と観点からまとめあげていて、植木ファン初級から上級者まで楽しめる内容になっている。
実際に私が大変おもしろく読めた。

また、東宝の著作権がかかるスチールをこれだけふんだんに使えたことも非常に贅沢なことだ。
各作品の高田氏文章と共にマッチする東宝秘蔵画像をも楽しんでいただきたい。

私の寄稿文について。
高田氏にこの企画が本決まりになってから内容は完全にお任せするので寄稿するよう依頼を受けた。
これまで1人秘密にしていた話を今回記した。これは不条理と沈没し行く日本への問題提起である。

映画・音楽の解説は高田さんが専門であるし、当時にまつわるエピソードはリアルタイムで付いていた小松さんのインタビューでお楽しみいただきたい。

小松さんへのインタビューは2020年1月に行ったが、これは2019年末に舞台『うつつ』 小松政夫の大生前葬を打ち上げた後の検査入院と治療入院の間で、このタイミングでしかインタビューの時間は取れなかったであろう。
まさに小松さん生前最後のインタビューとなった。 

実は、クレージー映画上映会と小松政夫トークショーをセットして町興しイベントで催せないか、と地方有志から相談を受けていた。

パワー溢れるポジティブ映画と、この時代・制作現場を生で知る証言者とのセットはもってこいで、人の為になるイベントはきっと植木も応援してくれただろう考えていたが、小松さんなしではトークショーセットは成り立たなくなってしまった。

しかし、植木等が遺したものは娯楽映画だけではない。
クレージー映画30作終了の後、50歳を過ぎて植木が主演した『本日ただいま誕生』(原作:小沢道雄・監督:降旗康男・渡辺プロダクション)は、性格俳優への転機となった実話にもどづく名作である。


この映画は過去を問わず、たった今から生まれ変わって生きる(生まれ変われる)ことを描いている。

第二次大戦出兵から敗戦でシベリアに抑留され、零下40度の極寒で凍傷におかされ両足を切断し、引き揚げ時には満州の草原で鉄道まで担架を担ぐ同僚兵士4人に捨てられたが、奇跡的に現地人に助けられた。
そして、帰国し自分を捨てた元兵士と再会し、許し、裏切り、厭世と流転したのち、見知らぬ人々との交わりから真理を会得したのだ。

いまだ繰り返し私に感動を呼び起こすこの映画を必要とする人がきっといると感じ続けている。もしこの映画を届けることができるなら、植木から託された私にこそできる役割ではないか。

プランはできている。
問題は著作権だが、この映画は100%渡辺プロだから相談してみることにしよう。


2020/12/12

「小松政夫」さん逝く

小松さんが亡くなった。享年78歳。

最後に会ったのは今年1月、最後に電話で話したのは夏だった。

去年の10-11月に小松さんは「うつつ 小松政夫の大生前葬」なる舞台に主演し、私はその題名に洒落だけではないものを感じていた。小松さんは実直な博多男で冗談を口軽く言う人ではないのだ。

チラシに<斎場>と載せられたキンケロ・シアターには洒落の分かる博多華丸・大吉から供花が届けられていて、その他多くの祝花との対比を見て、狙ってできない小松さんらしい絶妙なジョーダンになってるなと思った。

訃報記事で提携事務所から出た”昨年11月に入院したため、同舞台を終えた後、体調を崩したと見られる”とのコメントが報道されているが、この舞台中に要治療であることは分かっていたのだ。ということは、やはり小松さんは口軽く病気のことを話さなかったということだ。

私は「植木等」に関する書籍の発刊を企画するある作家から、小松さんへのインタビューセッティングを依頼されていたこともあり、舞台前から日時の相談を何度か相談していた。その時から小松さんは検査入院や仕事の予定があってうまく設定できていなったのだが、主演舞台が上演されるなら、これは舞台楽屋で会って相談することが機であると思い訪ねることにした。

楽屋でのスナップを見返しても、小松さんが小さくなっているように感じる。小松さんは世辞のない舞台の感想を私に求めながら、演出家に対する文句やら<喪主>として公演を打ってくれたエイベックスや共演者への感謝を口にし、続けて最近の体調や、検査のことや、先の予定などをひと通りと、癌であることを私に話した。そして、病院日程が空く来年1月にインタビューを設定することを、ずっと気になっていたとして応じてくれたのだ。

そして、年が明けて1月18日約束通り、小松さんは私を立てる義理で、細くなった体で芦花公園の小松さんいきつけの店に現れインタビューを受けてくれた。このインタビューはこれまで小松さんが語り尽くしてきたネタがほとんどだが、それでも植木さんの歌に関するくだりは取材者もはじめて知る話ばかりでと、とても喜んでくれた。当時最も近くで見聞きした弟子の証言なのだから、取材者はたまらないだろう。私も植木さんの実像と見聞きしてきたことがオーバーラップしてこの上ない贅沢を体験した。そして、インタビューを終え店の前で作家達と別れて、私は小松さんを家まで見送った。これが会った最後になる。小松さんの最後になる貴重な証言が書籍という形になりファンに届くことを願いたい。

遡って私が小松さんにもっともお世話になったのが、三重県総合博物館(MIEMU)で私がプロデュースした2017年企画展「植木等と昭和の時代」において、2ヶ月の開催期間中に2回企画したトークショーに出演してもらったことだ。植木等の弟子なのだから、それは当然ともいえることかもしれない。でも私の希望するままに、できることなら何でもすると、2回の開催に応じてもらった小松さんにとても感謝している。また、小松さんも私と同等以上の気持ちで植木のオヤジへの感謝をもって受けてくれたことも言わずもがな共有している。おかげで博物館ロビーに多くのゲストを迎えられて大成功となった。

さらに、この企画展一連がさらにこの後へと繋がっていったことに驚くことになった。企画展開催中に、小松政夫原案・NHKドラマ「植木等とのぼせもん」の企画が進行していたのだ。小松さんからトークショーへの三重往訪道中で、自分の書いた本がNHKでドラマ化されることが決まったと聞いた。小松さんは企画展、CM、ドラマ化と「植木等の大波が来ている」と表現していた。そして企画展期間終盤に渡辺プロから連絡があり、NHKプロデューサーがたっての希望でドラマ作家を伴って生の植木等を取材したいとなり、渡辺ミキさんがエスコートして企画展にやって来るというのだ。後日、一行は新幹線、近鉄特急と乗り継ぎ来津され、企画展をくまなく鑑賞した後、プロデューサーからは素晴らしかった、とても参考になったとのことだった。その後、ドラマが制作・放送されたのは周知の通りで、私も協力させていただいた。小松さんも淀長さん扮する本人として出演し書籍のドラマ化は現実となったのだ。小松さんがこのドラマ化に関して、MIEMUの企画展が繋げてくれたと、事あるごとに私に謝辞を返されたことが忘れられない。

師匠植木等について、居酒屋、新幹線、酔ったあげくなんとコンビニでも、酒を交えて本当に多く2人で語り合った。私が小松さんに対して羨望の気持ちがあったように、小松さんは私に嫉妬はあっただろうか。嫉妬させるぐらいの師弟関係に映っていたなら最善を尽くした自分の仕事を嬉しく思う。植木等という昭和芸能史における偉人も、小松政夫という人間あって名のある弟子を輩出できたのだ。その兄弟子が存在したことが、私への恩恵にもなっていることに感謝したい。ありがとうございました。

小松政夫は植木等の実質的な最初の弟子といえる。一方私は最後の弟子だ。28歳の差があるこの頭尾2人を繋げたものは尊敬できる師匠・植木等という人格者である。私は付き人という言葉が昔嫌いだったが、その人が植木等という偉大で師表足る人格者だっおかげで、その人を世話助けすることを生業とする職業だった「付き人」をこの歳になり今ようやく誇らしく思える。それは何よりも、植木の弟子・付き人であった恩恵を、小松さんも私も大きく受け続けているからで、小松さんと私の間には時代と道程を超えて同じ師匠・オヤジをいただいた繋がりがあるのだ。

小松さんの人生は幸せだったと思う。だって、78歳まで喜劇人を全うできたのだから。




うつつ 小松政夫の大生前葬(2019-11)










2017MIEMU 小松政夫トークショー①














2017MIEMU小松政夫トークショー②







2017MIEMU小松政夫トークショー③








2016東宝スタジオにて













MIEMU・conveni・cafe・backstage

2020/07/01

植木等番組・NHK『歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」』放送

NHK総合「歴史秘話ヒストリア『スーダラ節が生まれた』」より。(写真提供:NHK)


【植木等番組】NHK『歴史ヒストリア「スーダラ節が生まれた」』放送のお知らせ

【本放送】 7月1日(水)NHK総合 22:30~23:15

【再放送】 7月7日(火)NHK総合 15:08~15:53

【NHKプラス】放送後7日間WEB、スマホで視聴可能

本来はオリンピック直前で組まれていた枠ですが、各番組コロナ禍の影響が多大に出ている中、無事に放送が決定しましたので告知させていただきます。 この時代だから植木等の番組を作りたいと、20代のディレクターが企画書を持って来訪された時には、若い世代にも影響を与える植木さんはこうして次の世代にも繋がっていくのかな、凄いことだなと思いました。 キャラクターを決定づけた代表曲「スーダラ節」誕生には様々なエピソードが隠れていて、芸能界の雄・ナベプロ社長渡辺晋、後に直木賞作家・都知事となる青島幸男、そしてこれまで民放番組上なかなか大きく取り上げられなかった裏で、じつは植木等が最も強い影響を受けた父植木徹誠を交えたエピーソードに公共放送がスポットを当てて制作した意義が大きい番組です。 私は保管する資料と、植木さんからいただいた宝物と一緒に、なんと、私のオフィスにNHKのカメラが入りインタビュー出演しています。 ”わかっちゃいるけどやめられない” この人間の普遍的テーマにどう向き合って誕生したのか、コミックソングと認知されている裏に隠された物語をつむぎながら、植木等・スーダラ節の魅力に迫る番組です。 (敬称略失礼致します)

2017/10/05

東洋大学「植木等展」開催決定

10月11日より、東洋大学「植木等展」を開催させていただくこととなりました。






東洋大学「植木等展」はNHK土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」と神保町シアター「ニッポンを元気にした男 植木等と渡辺プロダクションの映画」との連携事業です。



ドラマ、映画の植木等を観るものそれは楽しいですが、「植木等展」では(植木さんへ宛てて)”昭和最大のコメディアン”と評している小林信彦氏書簡や、なんと!クレイジーキャッツメンバーの楽器(植木ギター、ハナドラム、谷トロンボーン、安田サックス)を特設展示など、実物を直に観賞していただく醍醐味があります。
また、植木さんの展覧会のためなら喜んでと、メディアでは一切放送されていない、展覧会のために収録された、ここだけでしか見られない超豪華な皆様の特別インタビュー映像を展示します。
星野源君とのコラボでも話題になった「ライバルは1964年」、次の2020東京に向かってノスタルジックなキーワードである「昭和」のエンターテインメント=植木等を、世代を超えておたのしみいただければこんなに嬉しいことはありません。
今回、ドラマ放送が決定してからの会場探しだっため、どこも押さえられず断念しかけていたところ、卒業生の功績に応えたいと母校の東洋大学から会場提供と運営費支出といったご厚意を得て開催が実現しています。
これも植木さんの人徳に違いありませんが、感謝の気持ちでいっぱいです。
広さが限られた会場ではありますが皆様とお会いできることを楽しみにしております。


・名称:東洋大学「植木等展」
・会場:東洋大学白山キャンパス8号館特設会場
・メイン展示:昭和のスター植木等展
・特別展示1:東洋大学と植木等
・特別展示2:NHK土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」写真展
・期間:10月11日~22日(15日休館)・主催者:東洋大学
・入場料:無料
・協力:渡辺プロダクション、渡辺音楽出版、比呂公一
・監修:藤元康史(展覧会プロデューサー)
・制作協力:NHKエンタープライズ
・特別インタビュー映像:大林宣彦、小松政夫、砂田実、大地真央、所ジョージ、成岡道次、松任谷正隆、三宅裕司、山田昌
・寄稿:岡原正幸、田村耕一、西村伸子、藤元康史
(敬称略・五十音順)

















2014/10/21

「本日ただいま誕生」台本 植木等さん遺品より見つかる

「本日ただいま誕生」台本画像



「本日ただ今誕生」が2014年10月25日東京国際映画祭にて特別上映される。
 ・http://www.nihon-eiga.com/osusume/tadaima/

昨日の中日新聞の一面に掲載されたとか。
 ・http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014101802000254.html


この映画は資金難から紆余曲折して完成し、上映も短期間しか行われずフィルムも行方知れずとなっていたが、渡辺プロダクション倉庫からこのタイミングで見つけ出されるべくして見つけられた後、これまた通るべく道を通って35年ぶりに大衆の眼前に映されることとなる。

この映画は撮影ロケでホテル代を踏み倒した(降旗監督談)くらい訳ありだったことから一般の方々に向けて情報提供を呼びかけるほど資料が無かったとのことで、私自身思い返しても、生前の植木さんからほんの一片しか話を聞いた記憶がない。

そこで、植木家から頂いた(私としてはお預かりしている)遺品、資料を探したところ、上映5日前の今日、植木さんの台本が見つかったのだ。
早速渡辺プロへ連絡して、特別上映の資料として貸し出し提供をさせていただくこととなった。


植木さんの反戦精神をご覧あれ。


2014/09/14

植木等・幻の主演作『本日ただいま誕生』東京国際映画祭にて特別上映決定!

共同通信PRワイヤーより引用
http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201409123665/


植木等 幻の主演作が35年の時を経て、現代に甦る!
『本日ただいま誕生』
~第27回東京国際映画祭にて特別上映決定!~
 日本映画衛星放送株式会社(東京都千代田区/代表取締役社長 杉田成道)が運営する日本映画専門チャンネルは、10月23日から開催される第27回東京国際映画祭にて、植木等 幻の主演作とも言われる『本日ただいま誕生』の特別上映イベントを開催いたします。

 今回、特別上映する『本日ただいま誕生』は植木等自ら映画化を熱望。中村敦夫・川谷拓三ほかクレージーキャッツのメンバー全員が友情出演を果している作品。しかし、1979年の公開当時ごくわずかな劇場で短期間上映されて以降、35mmフィルム原版の行方が分からぬまま35年間に渡り幻の作品として誰の目にも触れずに眠っておりました。
ところが2012年、生前植木等が所属していた渡辺プロダクション所有の倉庫の片隅で偶然フィルムが発見されました。そこで渡辺プロダクション、東京現像所そして開局以来多くの未ソフト化、未DVD化の作品をハイビジョン化し放送することに取り組んできた日本映画専門チャンネルがタッグを組んで2年がかりで復元、HD化に取り組み、ついにハイビジョン作品として復活。このたび東京国際映画祭で特別上映する運びとなりました。

 上映にあわせ、本作で監督を務めた『鉄道員』、『あなたへ』等で知られる名匠・降旗康男をゲストにお招きし、撮影当時の秘蔵エピソードを伺うトークショーを開催(予定)。当時の植木等とのエピソード含め様々なお話を伺います。
“日本一の無責任男”として日本映画史にその名を刻む名優・植木等の知られざるもう一つの男の顔。35年の時を超えて明らかとなるその素顔を、是非劇場の大きなスクリーンでお確かめください!

■『本日ただいま誕生』 とは?
1979年公開。「スーダラ節」や映画“無責任シリーズ”で一世を風靡したクレージーキャッツ植木等主演。物語は第二次世界大戦後、シベリア抑留中に凍傷におかされ、両足を切断した大沢雄平(植木等)が敗戦後の日本でたくましく生き抜いていく波乱万丈の一代記。監督は名匠・降旗康男。植木等渾身の一作が現代に甦る。
監督:降旗康男 脚本:下飯坂菊馬
出演:植木等/宇津宮雅代/川谷拓三/北村和夫/ハナ肇/谷啓/犬塚弘/桜井センリ/安田伸/中村敦夫

■『本日ただいま誕生』 関連グッズ、関連情報 募集中!
1979年にごく短期間しか上映されなかった本作は、関係会社の手元に資料が一切残っておらず、現在唯一ポスターだけが見つかっております。もし公開当時のパンフレットやチラシ等関連グッズをお持ちの方、また公開当時劇場で本作をご覧になった方などいらっしゃいましたら『本日ただいま誕生』特設ホームページへ情報をお寄せください。ご協力頂いた方の中から抽選でチャンネルオリジナルグッズをプレゼントいたします。
『本日ただいま誕生』特設ホームページ:http://www.nihon-eiga.com/osusume/tadaima

■第27回東京国際映画祭 開催概要
イベントタイトル:第27回東京国際映画祭    
開催期間:10月23日(木)~10月31日(金) 
会場:六本木ヒルズ(港区)、TOHOシネマズ 日本橋(中央区)他          
オフィシャルHP:http://www.tiff-jp.net     
併設マーケット:TIFFCOM2014(Japan Content Showcase 2014) 10月21日(火)~10月23日(木) http://jcs2014.com/ja/   
チケット発売 :10月11日(土)よりticket boardにて発売開始!ご購入は、東京国際映画祭公式サイトへ。

■チャンネル名称:日本映画専門チャンネル
■視聴方法:スカパー!(BSch.255)/プレミアムサービス(ch.634)/プレミアムサービス光(ch.634)/J:COM/ひかりTV/auひかり/ケーブルTV
■視聴可能世帯数:約750万世帯(2014年7月末調べ)  
■日本映画専門チャンネル公式HP:http://www.nihon-eiga.com/

2012/01/04

ザ・接点 森繁久彌 贈られた詩書画

森繁久彌 詩書画
「百年の樹 百年の樹を伐りて一年の木を植う 誰ぞ知る松柏の心 清流残雪に謳う

世田谷区船橋に「森繁通り」と呼ばれる筋がある。御大森繁久彌さんの邸宅へと小田急千歳船橋駅から通じる道である。
森繁さんは自宅からキャデラックのリムジンで森繁通りを通って砧の東宝撮影所へ通勤された。私も通りから見させていただいた宅地は700坪もあったと御大の弟子である俳優赤城太郎さんから伺ったが、世田谷に個人宅で700坪とはただ驚くばかりである。

植木等と森繁御大の接点はといえば、やはり東宝ということになる。
駅前・社長シリーズを撮られていたわけだから、無責任シリーズの植木とは東宝でよく顔を合わせていたに違いないし、御大が植木の映画に出演されてもいる。

オヤジさんにこんなエピソードを生前聞いた。
「おれが番組コントで森繁さんをパロったハヤシゲ・クサヤを連発したら、森繁さん怒ったねえ・・。俺んちに電話かけてきてハヤシゲ・クサヤとはどういうことなんだ!ふざけるなってさ。カカカカカ・・・」

昔はライバルであるからそれは風当たりも強かったそうだ。
しかし舞台「みおつくし 浪速の花道」東宝1988年での共演(曾我廼家五郎、曾我廼家十郎で森繁は植木に感謝したという。

写真の詩書画は舞台のお礼にと御大から植木へと贈られたものである。

「百年の樹を伐りて一年の木を植う 誰ぞ知る松柏の心 清流残雪に謳う」 久彌
植木等様

その後も舞台「狐狸狐狸ばなし」、NHK「大往生」でも共演している。
私は「大往生」の時には植木に付いてので、この共演を生で見ているのだ。(とてつもない財産)
撮影時に御大は私に言われた「ちょっと、ボク」・・・・・・・・・・・。

詩書画は植木の没後に赤城太郎さんへ贈られた。
額を渡す時に植木邸の小さな灯籠も持っていかれたが、おそらく赤城さんの赤城山山荘に額ともども置かれているはずである。


「およみでない?」



2011/12/14

植木等愛用ギターGibson ES-175

植木等愛用ギター Gibson ES-175

植木等の芸能界スタートがジャズミュージシャンだったことをご存知だろうか。
終戦間もない昭和20年代のことである。

当時はGHQが日本を統治し、多くの米兵がキャンプに駐留していわゆるクラブがあちこちにあった。
そのためミュージシャンの絶対数が足らず、楽器ができれば何でもOKの状況があったわけだ。

食糧難の当時、そこに行けば銀シャリとステーキがあったという。
「これ家に持って帰っていいか?」とオヤジさんは聞いたそうだが、take outはNOだったらしい。

クラブでのミュージシャン需要の多さに目をつけ、斡旋からマネジメントとして事業を開始したのが渡辺プロダクション創業者の渡辺晋・美佐夫妻である。

仕事にありつくために必死に教則本を片手にギターの練習をしたとオヤジさんはインタビューで語っている。
その努力が楽譜を読める能力を身につけさせ、楽器はできるが楽譜が読めないミュージシャンが多い中、仕事にありついたのだ。

萩原哲晶とデューク・オクテット、自らのバンド・ニューサウンズ、フランキー堺とシティ・スリッカーズ、ハナ肇とキューバンキャッツ(→後にクレージーキャッツ)とミュージシャンとして渡り歩いた。
「この世にカミがないならば、この世にカミがないならば・・・、手でふくより仕方がない・・。」などとジャズ喫茶でジョークを飛ばしてそのギャグマンとしての素養を隠しきれないこととなり、冗談音楽を演じるコミックバンドへと変容していったのである。


以後昭和34年に始まる「おとなの漫画」フジテレビ、「シャボン玉ホリデー」日本テレビ、「スーダラ節」、「ニッポン無責任時代」東宝と階段を駆け上がり、昭和のキング・オブ・プロダクション-渡辺プロダクションのトップスターとなった。


植木はNHK「スーダラ伝説・夢を食べ続けた男」で語っている。
「振り返ってみると、ちゃんと通るべき道を通ってきたね」


人間に天命があるならば、人間に宿命があるならば植木等は間違いなく、庶民に娯楽を提供する運命だったといえる。
写真のギターはリバイバルヒットした「スーダラ伝説」コンサートツアーでも使い、晩年まで所持したギター(Gibson ES-175)である。
来年植木等の展示がある博物館で行われるが、できればその際に一般公開したいと考えている。




「およみでない?」

2011/12/08

「植木等」たる条件①

植木等はなぜ『植木等』になり得たか。

『植木等』になるには、ある種の敏感さとある種の鈍感さを合わせ持たねば成立しない。
『植木等』になるということは大スターたる一条件と私は定義する。
この2種の組み合わせは、凡人では持ち得ない、または持つことができない組み合わせなのだ。
そこに超人的に衆望を集め、のし上がっていく素養が隠されているとしたら、やはり天与のものと言えるのではないか。
すなわち生まれた時から、決まっていたのではないのかとも考えさせられる。

<これは誰にもマネできない!植木等「スーダラ節」・動画提供YouTube>


植木の全盛時代本当に寝る時間がなかったらしい。
当時のスタッフ(確か中井章二さんという役者)にスケジュール表を見せてもらったが、超過密スケジュールだった。
それによって植木は体調不良で入院するのだが・・。

この入院後に車の運転は任せた方がいいとなって、あの小松政夫さんがやってくるのである。
小松さんは一般公募で何百人の中から選ばれたと聞いた。


「およみでない?」

2011/12/03

クレージーキャッツの演奏パフォーマンス

<動画提供:YouTube>
ハナ肇とクレージーキャッツの演奏パフォーマンス

これはいつ頃なのだろうか・・。(桜井センリさんと石橋エータローさんの2人ともいるのはヒント:なぜなら桜井さんは石橋さんのトラで入って、居着いたからだ)
オヤジさんが生きていたら、この動画を見せながら談笑できたに違いないと思いながら見せてもらった。

石橋さんと桜井さんの2人がいることから1960年(昭和35年)以降ということになるのだが、司会者がついたクレージーのステージという状況を考えると昭和30年代後半から40年前後ではないだろうか。
映画主演をバリバリやっているころだ。

ふざけてはいるんだけれども、真面目に演奏しているギャップがなんとも言えない冗談さが醸しだされていて、音楽的にもイイ感じである。

感想などは後日・・。

<バンド構成>
ドラムス:ハナ肇 
ギター:植木等
トロンボーン:谷啓
ベース:犬塚弘
サックス:安田伸
ピアノ:石橋エータロー&桜井センリ


「およみでない?」

2011/11/25

ザ・接点 立川談志

立川談志贈呈の添状と『談志楽屋噺』
立川談志さんが亡くなったニュースが流れている。

小さん師匠に入門後、早くから頭角を現して二十代で真打へと昇進した。
その後、本業である落語での活躍はもちろんのこと、笑点の初代司会者、師匠に反抗して落語協会脱退、参議院議員になり政務次官になるも問題発言で辞任などなど話題性に富んだ落語家だった。
噺家のトップスターだったといっても過言ではない。

2003年頃だろうか、植木のオヤジさんから「これお前にやるよ、おもしろいから読んでごらん」と渡されたのが、写真の本『談志楽屋噺』白夜書房1987年である。
本を開いてみると談志さん直筆の添状(走り書?)がはさまっていて、本にも「植木等さん江 立川談志」と書かれていた。

おやじさんはよく本をいただいた。これはお近づきのしるしやお礼の時もあるだろうが、やはり宣伝も兼ねているのは言うまでもない。本を出しましたという植木等(に限らず皆へのだが)へのアピールである。

「談志がサインくれっていうから書いてやったんだよ」とオヤジさんから聞いた。(植木等のサインは芸能人からもよく頼まれた)
おそらく、楽屋か対談なんかで会う機会があったのだろう。そのサインに対する礼がこの本だったんだという趣旨と当時解釈したのだが・・。

クレージーの怪盗ジバゴ

そこで植木等と立川談志の接点をみてみると、1967年東宝映画『怪盗ジバゴ』で共演している。

談志さんは工員役で出演しているが、若いころの談志さんは言われないと私には分からなかった。「あーこれが談志さんだ」という具合。
談志さんのキャスティングがどういった経緯だったのか定かではないが、この共演についてオヤジさんに聞いておけばよかったと思っている。




この『談志楽屋噺』は確かに面白い。一番気に入った所を紹介しよう。
昔の噺家の酒、女、博打で身を持ち崩す人が多数いたことが紹介されていて、噺家の自殺が多いのとメチャクチャな話が多い。
----------------------------以下引用(P36より)--------------------------
朝之助と私と馬次兄ィと三人で池袋の闇市で飲んでた。隣のお客が一杯飲めと酒を注ごうとする。「いいよ、いらない、結構です」と言うのに、どうしても注ぐという。それじゃあてんで、ついでもらって飲んでたら、今度は「おまえのもよこせ」と言う。なんだ、この野郎って顔を私がしたら、馬次が殴っちゃおうと言う。「よしなよ」って言ったら、なんと「頼むから殴らしてくれ」と言う。なんなんだろう、「頼むから殴らせてくれ」―と言うのは・・・・・・。結局、殴っちゃったけど。世の中をすねてたわけでもあるまいに、世間が落語家の若手を拒否したわけでもあるまいに・・・・・・。
----------------------------引用ここまで--------------------------------
(この馬次さんも後に自殺されている)

戦後芸能界(落語も含めて)の一端を表していると思うのだ。
ジャズバンド時代から映画、テレビへと時代が移っていく過程は高度経済成長と重なっている。
とてつもないエネルギーに溢れていて、多くの不条理がまかり通っていた。

談志さんは戦後芸能界を引っ張った植木等に共感していたのではないだろうか。

添状の裏
やぶり取ったような絵葉書(おそらく表紙)はたぶん書くものがなくて、とっさに書かれたのだと思う。

裏を返してみると、「ありがとう」シールが貼られていた。

毒舌で怖そうに映る人物像は裏返しではなかろうか。
『談志楽屋噺』は亡くなっていった噺家への愛情に溢れている。




「およみでない?」

2011/11/16

オヤジさん、この車は勘弁してください・・。

キャデラック・フルサイズリムジン
河口湖旅行でのスナップ-2000年頃

植木等はスターらしく外車を乗り継いできたが、シーマ大事件によって国産車シーマがやってきたことは前に記した。(海外では逆なわけで、もちろんシーマはグローバルにすばらしい車)

シーマを乗るようになって数年経っていただろうから2000年前後じゃないだろうか。植木家ではドイツから愛娘家族が帰郷していて、河口湖へバカンスへ出かけることになっていた。

そんな中、高橋さん(小松政夫さんがオヤジさんの付き人になる前の運転手で、たしか芸能人志望ではなく、植木等が好きでオヤジさんの元にやってきた人)という植木家とは旧知の人が訪ねてきていて、その時河口湖へ出かける話が出た。
「それならうち(高橋さんの勤め先)の社長のキャデラックで行きましょうよ。私が運転しますから。」
と高橋さんの申し出があっさり決まったのだった。

さすがに私は定員オーバーで乗れないから、期間中休みだな♪と期待したのも束の間、
「ああ、大丈夫リムジンだから、藤元さんも乗れますよ・・。」
「・・・・・・・・・・・・。(乗れなくていいのに)」
「お前も来いよ」とオヤジさん。
「分かりました」(断れるわけないよな)

こうして写真のキャデラックで河口湖へ出かけてきたのだが、
道中「このキャデラック買いませんか」セールスが連発されることになる。
高橋さんは別に他意があるわけでなく、単にオヤジさんに乗ってもらいたかったのだろう・・。

「いいよ~キャデラック、ねえいいでしょう?」
「フジモトさんも運転してみてよ」
「いや、運転はいいです、デカ過ぎますよ」
「大丈夫だって、1回乗ればわかるって」
「デカすぎて怖いですよ(こんな車がやってきたらどうなるんだ!)」

ってなやり取りがあって、結局試運転は断り通したのだったが、オヤジさんにも最後まで粘っていただタカハシさん。

それで河口湖でオヤジさんと2人きりになった時、
「どうだ、キャデラック」
「オヤジさんあの車は勘弁してください・・。あの車が家に停まっていて、出かける姿は想像できないです。」
「そうか、わかったわかった、カカカ・・・」

こうして、キャデラック・リムジンが植木家へやってくることは回避できたが、それにしても日本でこの車を乗るってどういうことなんだ。
今では考えられないが、そういえば昔、志村けんさんはリンカーンのリムジンに乗ってたんじゃなかったかな?まさか今は乗ってないだろうけど。

時代だねえ。

「およみでない?」

2011/10/23

植木徹誠 落款「迷骨」

落款「迷骨」

植木徹誠筆「水の五訓」
植木徹誠筆「水五訓」
水五訓の情報→http://ja.wikisource.org/wiki/水五訓

水五訓は黒田如水作との説があるが、これには異論もある
黒田如水作異論説情報→http://d.hatena.ne.jp/




植木等の父 植木徹誠は元浄土真宗大谷派僧侶で共産党員だったが、僧籍に入る前にはキリストの洗礼を受け、マルクス主義を唱え、都都逸唄いをしていたこともあった人物。
植木徹誠情報→http://ja.wikipedia.org/wiki/植木徹誠/

植木等は親父を「支離滅裂」と評した。
植木等著『夢を食い続けた男- おやじ徹誠一代記』朝日新聞社1984年にくわしく記されている。
『夢を食い続けた男』→書籍情報はこちら



植木徹誠さんは晩年親鸞聖人に合わせる顔がないと自戒したという。息子植木等が「スーダラ節」を歌う時に「わかっちゃいるけどやめられないとは親鸞聖人の教えに通ずる」と絶賛したことは有名。

その徹誠さんは揮毫の落款に「迷骨」と記していた。
「人間は骨になっても迷うほど俗なものだということらしい」とはオヤジさん談。


「およみでない?」

2011/10/13

世田谷ベース番組動画:植木号日産シーマ




植木号シーマ<藤元撮影>
シーマ大事件で取り上げた植木号を紹介する世田谷ベース番組動画を掲載しているサイトがありましたので紹介します。 《一般公開されている間掲載します》
シーマ大事件バックナンバー

私が12年間運転した日産シーマFY33型
グレード:41LX / エンジン:V8 4.1L VH41DE / 油圧アクティブサスペンション装備


新車をオーダーする際に、カタログを見てグレードや装備、色などを決めていったのだが、最上級に「VIP」なるグレードが存在した。これはまさに後席優先仕様のエグゼクティブを乗せる仕様なのだが、具体的に後部座席に振動マッサージャー(後席背中に内蔵されている)、助手席背中部分が倒れ左後席のオットマンになるものだった。

2011/10/05

自転車ダイビング大事件<大強運>

私が12年間オヤジさんと過ごして度肝を抜かれたことがいくつかあったが、この話は五指に数えられるかもしれない。

2000年11月植木等は中日劇場「新 名古屋嫁入り物語」の座長として名古屋へ来ていた。
この名古屋嫁入り物語は東海テレビのご当地ドラマとして10年続いた人気作で、大いに期待されて舞台化されたものだ。

たしかこの年は梅田コマ劇場で「ハウ・トゥー・サクシード」、明治座で堺正章公演と3本の舞台に出演したと記憶する。<この年はこの他CM数本とドラマにも出演していたことから、仕事に忙しい年だったと記憶する・。>

このように仕事も順調だったし、体調も悪くはなっていないころだからまだまだ勢いは相当なものだった。
そこで何が私の肝を潰したかというと、オヤジさんは自転車に乗って客席へダイブしたのである!
この時私も舞台上で共演しており、なんと舞台上からオヤジさんが自転車にノッて客席へ飛ぶのを見ていたのだ。

中日劇場写真

2011/09/29

植木ロイド・ボーカロイド・エンジン3にバージョンアップ

9月27日ニコニコ動画生放送・松武秀樹の「テクノスクール」にてメカ植木(植木等版ボーカロイド)がバージョン3の新エンジンにアップされたことを発表し、楽曲「植木節」(作詞・作曲比呂公一)が披露された。

私の会社モッシュはメカ植木ボーカロイドの製作サポートで、社長の比呂さんが「植木節」を作詞・作曲という関係。

7月24日の「テクスク」にて初めてメカ植木の存在が公にされ、同時に発表された「植木節」はバージョン2のボーカロイドによるものだった。
7月24日メカ植木ページ

今回はメカ植木に本腰のヤマハが発売前!?のエンジン3を提供・搭載したボーカロイド<メカ植木>と「ぼかりす」<VocaListener>を、前回同様とくPがマニピュレート。

→ボーカロイド・バージョン3のヤマハ公式サイト

ニコニコ動画での反応はかなり熱かったとか!!
今後はさらに完成度を高める作業を進行させつつ・・・・、メカ植木の画像を一般公募するとの未確認情報も囁やかれているとか・・。

そして最終的に目指すものは・・・。
メカ植木ソフトの発売はあるのか!?
「植木節」CD・配信はあるのか!?

乞うご期待!


「およみでない?」

2011/09/24

植木等と仏教・親鸞聖人

寺田康順編『親鸞聖人』真浄寺刊2005年

ここに1冊の本がある。
これは亡くなる前に植木等が病室で読んだ最後の本である。


  • 少年時代小僧として修行した浄土真宗大谷派真浄寺(東京都文京区)・寺田康順住職の刊行
  • 寺田康順住職とは小僧時代から真浄寺で共に生活した間柄で、住職が亡くなるまで毎年正月と盆はかかさず真浄寺へ挨拶に伺っていた
  • 植木等は父植木徹誠、母いさほの三男(長男徹は戦死、二男勉は幼くして病死)として生まれる
  • 父はキリストの洗礼を受けながら得度して僧侶となった支離滅裂な人物と植木に例えられる
  • 母は三重県伊勢市小幡西光寺の息女、徹誠はいさほとの結婚がきっかで仏弟子となった
  • 三重県多気郡宮川村の常念寺住職なった父とともに檀家周りをしていた
  • 徹誠は戦中戦争反対を公言して投獄されたことにより、先を案じた母によって教育が受けられる真浄寺へ小僧に出された
  • 真浄寺では僧侶となる修行をしたが得度せず、東洋大学を卒業して芸能界へ
  • 芸能界へ進んだ後も生涯仏弟子であり、親鸞聖人の生き様に影響を受けていた

仏教の教えでは彼岸があり、極楽浄土へ行くのだとか。現にオヤジさんは佛に向かって手を合わせていた。
しかし私は生前のあの言葉が忘れられない。

「お前あの世なんてあると思うか」
「いやあ、どうなんでしょうね。オヤジさんはどう思いますか」
「そんなのあるわけねえよ、死んだらお終い、それだけ」


「およみでない?」

2011/07/24

植木等版ボーカロイド発表!!


ボーカロイドというヤマハが開発した技術がある。
一躍有名にしたのは初音ミクだが、このソフトは音声を自由自在に操り唄わせるソフトなのだ。

このソフトの植木等版と楽曲「植木節:呼びました?」(作詞・作曲・編曲:比呂公一、マニピュレート:松武秀樹とくP)が本日7月24日ニコニコ動画生番組「テクスク」にて公式発表された。
<出演者>・松武秀樹 相沢舞 ゲスト:剣持秀樹(ヤマハ・ボーカロイド開発責任者) 高野寛

私の会社モッシュは社長の比呂さんが上記の通り「植木節」作詞・作曲をして、またメカ植木・ボーカロイドソフトの製作サポートをしている。

生放送視聴希望者が並び始めた・・ニコニコ本社

植木等版ボーカロイドのなにがすごいかというと、このソフトは本来生きている人の声を録音してデータベース化して唄わせるようにするものだが、亡くなった人間の歌声を復活させるところにある。
ようするに、亡くなった人間からは声を録音できないことから、データベースがつくれない=ボーカロイドはつくれないはずなのだ。

植木等版ボカロをマニピュレートするとくP
ところが生前録音した音声データ(スーダラ節などの原盤マルチトラック音源データ)を抽出し、それを植木等の長男・比呂公一が録音した音声データを変換して植木等の声で自在に唄わせるソフトを作ってしまったのが植木等版ボーカロイドのすごいところなのだ。

この技術は世界初で、その第一弾が植木等となった。
実はこの企画数年前から極秘裏に進められ、今日ようやく発表となったのだが、発表曲「植木節」(比呂公一作詞・作曲)ができあがったのはなんと昨日!
昨日までHUMstudioにて植木等版ボーカロイドをマニュピレートしてくれたのはとくP


「およみでない?」

2011/06/23

シーマ大事件④完

シーマ大事件③からのつづき

シーマが凹んでいる状況について聞くべく、急ぎ植木邸へ入ろうとしたのだが、その前に無意識的というかとっさににシーマセールスマンに私は問うた。
「シーマは保険入ってますよね?」
「・・・はい」:セールスマン
<これを聞いたのは、凹んだ原因が○○だろうというコンセンサスが暗黙の中に存在しているのを感じたのと、○○をかばう本能が働いたのだろうと思い返すのだが・・・>
確認して私ら3人は家へ入っていった。

「帰りました」と玄関で言い、セールスマン2人を招きいれた。
「おう」とリビングから植木の声。
私を先頭に3人がリビングに進み、あの・・と口から今今出ようとするその寸前に、
「どうだった?」と植木が勢いのある声で聞いてきた。
どうだったって・・・・、こっちが気合入れて問おうとしている時に先を取られたのである。

人間まったく予想してない展開がくると、どうなるかご存知だろうか。(立会いで高見盛から張り手されたようなものだ)3人はまさに”ハトが豆鉄砲くらったような顔”をしていたに違いなく、私は段取りが狂ったことに対応し切れなかった。

2011/06/16

シーマ大事件③

-シーマ大事件②からの続き-

BMWとシーマの2台を試から乗車して良い方に決めるということになって、まずはBMWから試乗することになった。
BMWのセールスマンは当然助手席に乗り込んだのだが、シーマのセールスマンは植木と2人残されるのを緊張から敬遠したのか、少し遅れて私も乗りますテイで後部席に乗りこんだ。

いよいよ試乗である。
BMWは5シリーズの運転をしたことがあったが、7シリーズは初めてである。5シリーズではスポーティーな印象を持っていたが、7シリーズでもラグジュアリーさがありつつも走りが自慢と、セールスマンはやたら走行性をプッシュしてくる。(自分とこの車を買ってもらわないと意味がないのだから当たり前か)

環八から小田急線脇の道に入り、駅前ロータリーを転回して元きた道を戻る。走行性といわれても、これくらいの距離と道では感じようがなかったのが正直なところ。
まあセールスマンに期待させるためにも、「いいですね~」てなことを答えながら坂道を登っていった。この丘を登りきって少し下ったところが植木邸だ。

フロントノーズがアップサイドからダウンサイドへと向きを変え、植木邸の塀とその前に真っ白なシーマのテールランプが見えた。オヤジの姿は見えない。家に入ったのだろう。

乗り換えるべくシーマの後ろに車を停めて3人が降りた。
発売したばかりのシーマはまだ座席にビニールが被っているのだからまさに新車、植木等に見せるためにおろしてきたのかもしれない。
とその時、シーマのセルスマンが突飛な声を出した。
「あれっ!」
何事かと私ともう一人が声の方へ近寄ると、シーマの左後ボディーがベッコリ凹んでいるではないか!
「ええーっっ」
私もこんなふうに叫び、もう1人も同じようなリアクションをしたと思う。
とにかく3人ともすぐに状況が飲み込めなかったのと、とくにシーマのセールスマンは焦りまくっていた。当然だろう、シートにビニールが被ったままのまっさらシーマがおもいっきり凹んでいるのだから・・・・。

状況とこれに至った可能性を分析しつつ、まず1人残ったオヤジに話を聞いてみることにしよう。


-つづく-