2020/12/12

「小松政夫」さん逝く

小松さんが亡くなった。享年78歳。

最後に会ったのは今年1月、最後に電話で話したのは夏だった。

去年の10-11月に小松さんは「うつつ 小松政夫の大生前葬」なる舞台に主演し、私はその題名に洒落だけではないものを感じていた。小松さんは実直な博多男で冗談を口軽く言う人ではないのだ。

チラシに<斎場>と載せられたキンケロ・シアターには洒落の分かる博多華丸・大吉から供花が届けられていて、その他多くの祝花との対比を見て、狙ってできない小松さんらしい絶妙なジョーダンになってるなと思った。

訃報記事で提携事務所から出た”昨年11月に入院したため、同舞台を終えた後、体調を崩したと見られる”とのコメントが報道されているが、この舞台中に要治療であることは分かっていたのだ。ということは、やはり小松さんは口軽く病気のことを話さなかったということだ。

私は「植木等」に関する書籍の発刊を企画するある作家から、小松さんへのインタビューセッティングを依頼されていたこともあり、舞台前から日時の相談を何度か相談していた。その時から小松さんは検査入院や仕事の予定があってうまく設定できていなったのだが、主演舞台が上演されるなら、これは舞台楽屋で会って相談することが機であると思い訪ねることにした。

楽屋でのスナップを見返しても、小松さんが小さくなっているように感じる。小松さんは世辞のない舞台の感想を私に求めながら、演出家に対する文句やら<喪主>として公演を打ってくれたエイベックスや共演者への感謝を口にし、続けて最近の体調や、検査のことや、先の予定などをひと通りと、癌であることを私に話した。そして、病院日程が空く来年1月にインタビューを設定することを、ずっと気になっていたとして応じてくれたのだ。

そして、年が明けて1月18日約束通り、小松さんは私を立てる義理で、細くなった体で芦花公園の小松さんいきつけの店に現れインタビューを受けてくれた。このインタビューはこれまで小松さんが語り尽くしてきたネタがほとんどだが、それでも植木さんの歌に関するくだりは取材者もはじめて知る話ばかりでと、とても喜んでくれた。当時最も近くで見聞きした弟子の証言なのだから、取材者はたまらないだろう。私も植木さんの実像と見聞きしてきたことがオーバーラップしてこの上ない贅沢を体験した。そして、インタビューを終え店の前で作家達と別れて、私は小松さんを家まで見送った。これが会った最後になる。小松さんの最後になる貴重な証言が書籍という形になりファンに届くことを願いたい。

遡って私が小松さんにもっともお世話になったのが、三重県総合博物館(MIEMU)で私がプロデュースした2017年企画展「植木等と昭和の時代」において、2ヶ月の開催期間中に2回企画したトークショーに出演してもらったことだ。植木等の弟子なのだから、それは当然ともいえることかもしれない。でも私の希望するままに、できることなら何でもすると、2回の開催に応じてもらった小松さんにとても感謝している。また、小松さんも私と同等以上の気持ちで植木のオヤジへの感謝をもって受けてくれたことも言わずもがな共有している。おかげで博物館ロビーに多くのゲストを迎えられて大成功となった。

さらに、この企画展一連がさらにこの後へと繋がっていったことに驚くことになった。企画展開催中に、小松政夫原案・NHKドラマ「植木等とのぼせもん」の企画が進行していたのだ。小松さんからトークショーへの三重往訪道中で、自分の書いた本がNHKでドラマ化されることが決まったと聞いた。小松さんは企画展、CM、ドラマ化と「植木等の大波が来ている」と表現していた。そして企画展期間終盤に渡辺プロから連絡があり、NHKプロデューサーがたっての希望でドラマ作家を伴って生の植木等を取材したいとなり、渡辺ミキさんがエスコートして企画展にやって来るというのだ。後日、一行は新幹線、近鉄特急と乗り継ぎ来津され、企画展をくまなく鑑賞した後、プロデューサーからは素晴らしかった、とても参考になったとのことだった。その後、ドラマが制作・放送されたのは周知の通りで、私も協力させていただいた。小松さんも淀長さん扮する本人として出演し書籍のドラマ化は現実となったのだ。小松さんがこのドラマ化に関して、MIEMUの企画展が繋げてくれたと、事あるごとに私に謝辞を返されたことが忘れられない。

師匠植木等について、居酒屋、新幹線、酔ったあげくなんとコンビニでも、酒を交えて本当に多く2人で語り合った。私が小松さんに対して羨望の気持ちがあったように、小松さんは私に嫉妬はあっただろうか。嫉妬させるぐらいの師弟関係に映っていたなら最善を尽くした自分の仕事を嬉しく思う。植木等という昭和芸能史における偉人も、小松政夫という人間あって名のある弟子を輩出できたのだ。その兄弟子が存在したことが、私への恩恵にもなっていることに感謝したい。ありがとうございました。

小松政夫は植木等の実質的な最初の弟子といえる。一方私は最後の弟子だ。28歳の差があるこの頭尾2人を繋げたものは尊敬できる師匠・植木等という人格者である。私は付き人という言葉が昔嫌いだったが、その人が植木等という偉大で師表足る人格者だっおかげで、その人を世話助けすることを生業とする職業だった「付き人」をこの歳になり今ようやく誇らしく思える。それは何よりも、植木の弟子・付き人であった恩恵を、小松さんも私も大きく受け続けているからで、小松さんと私の間には時代と道程を超えて同じ師匠・オヤジをいただいた繋がりがあるのだ。

小松さんの人生は幸せだったと思う。だって、78歳まで喜劇人を全うできたのだから。




うつつ 小松政夫の大生前葬(2019-11)










2017MIEMU 小松政夫トークショー①














2017MIEMU小松政夫トークショー②







2017MIEMU小松政夫トークショー③








2016東宝スタジオにて













MIEMU・conveni・cafe・backstage

2020/07/01

植木等番組・NHK『歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」』放送

NHK総合「歴史秘話ヒストリア『スーダラ節が生まれた』」より。(写真提供:NHK)


【植木等番組】NHK『歴史ヒストリア「スーダラ節が生まれた」』放送のお知らせ

【本放送】 7月1日(水)NHK総合 22:30~23:15

【再放送】 7月7日(火)NHK総合 15:08~15:53

【NHKプラス】放送後7日間WEB、スマホで視聴可能

本来はオリンピック直前で組まれていた枠ですが、各番組コロナ禍の影響が多大に出ている中、無事に放送が決定しましたので告知させていただきます。 この時代だから植木等の番組を作りたいと、20代のディレクターが企画書を持って来訪された時には、若い世代にも影響を与える植木さんはこうして次の世代にも繋がっていくのかな、凄いことだなと思いました。 キャラクターを決定づけた代表曲「スーダラ節」誕生には様々なエピソードが隠れていて、芸能界の雄・ナベプロ社長渡辺晋、後に直木賞作家・都知事となる青島幸男、そしてこれまで民放番組上なかなか大きく取り上げられなかった裏で、じつは植木等が最も強い影響を受けた父植木徹誠を交えたエピーソードに公共放送がスポットを当てて制作した意義が大きい番組です。 私は保管する資料と、植木さんからいただいた宝物と一緒に、なんと、私のオフィスにNHKのカメラが入りインタビュー出演しています。 ”わかっちゃいるけどやめられない” この人間の普遍的テーマにどう向き合って誕生したのか、コミックソングと認知されている裏に隠された物語をつむぎながら、植木等・スーダラ節の魅力に迫る番組です。 (敬称略失礼致します)