私が12年間オヤジさんと過ごして度肝を抜かれたことがいくつかあったが、この話は五指に数えられるかもしれない。
2000年11月植木等は中日劇場「新 名古屋嫁入り物語」の座長として名古屋へ来ていた。
この名古屋嫁入り物語は東海テレビのご当地ドラマとして10年続いた人気作で、大いに期待されて舞台化されたものだ。
たしかこの年は梅田コマ劇場で「ハウ・トゥー・サクシード」、明治座で堺正章公演と3本の舞台に出演したと記憶する。<この年はこの他CM数本とドラマにも出演していたことから、仕事に忙しい年だったと記憶する・。>
このように仕事も順調だったし、体調も悪くはなっていないころだからまだまだ勢いは相当なものだった。
そこで何が私の肝を潰したかというと、オヤジさんは自転車に乗って客席へダイブしたのである!
この時私も舞台上で共演しており、なんと舞台上からオヤジさんが自転車にノッて客席へ飛ぶのを見ていたのだ。
中日劇場写真
へえ~という程度に思われるかもしれないが、舞台というのは客席から高い場所にあるわけで、中日劇場も舞台と客席の高低差は1メートル位はあるだろう。
その1メートル下の客席へ、しかも自転車に乗ったままで突っ込んだ<ダイブ>したのである。
劇場は満員で最前列には当然お客さんが座っていたわけだ。
そもそも何故自転車に乗っていたのかを説明しなければならないか・・。
舞台の幕開き(第一幕第一場)は豪華さ、明るさを演出しなければならないことから、大勢の出演者が駆り出される。その大勢の中を主役を迎えて登場させ、客から見て引き立たせるのだ。
登場の仕方は色々あるが、その1つに乗り物に乗って登場する手法がある。
時代劇なら馬、籠などもあるが、これは現代劇で、役は町医者の設定から自転車にしようということに決まった。
自転車に乗って出ると言い出したのはオヤジさん本人だが、私はあぶないからやめて欲しいと頼んだのをよく憶えている。
なにせ、自転車で通る花道の幅が1メール位しかなく、左は壁だが、右は1メートル下の客席になっているのだから・・。
しかしこの年の植木等はノッていたのだ(いつもノッていたが・・)。
「いいや、大丈夫」とはオヤジさんの弁。当時の私とオヤジさんの関係はどうなっていたかというと、弟子入りして5年が経ち、師弟の会話ができる立場になっていた。
このあと間もなく小松政夫以来となる芸名を命名されたといえば、どれ位可愛がられえていたか分かり易いだろうか。
その弟子が危ないからやめてくださいと頼んでも、大丈夫と聞かなったのだ。
それほどノッていた年と理解していただきたい。
こういう経緯で初日からオヤジさんは自転車に乗ってオープニングに登場していたのだが、初日から数日後に、自転車で客席へダイブするという大事件が起きてしまったのだ。
こればかりはどんなにうまくやっても骨折は免れないだろうと思う。だってプロテクターをしてるわけでも、下にクッションが用意されてるわけでもない。
硬い椅子が並ぶそこは、冗談でも土手の設定というわけにもいかないだろう。
まさにスローモーション・・。私は今でも鮮明にその時の事を憶えている。
客席へ落下したオヤジさんを見ていた私は役など関係ない<私は老人役で白髪あたまに腰を曲げて芝居していた!>、舞台縁へすっ飛んでいきオヤジさんがどうなったか見た。
起き上がっているじゃないか!
たしか小声で「大丈夫ですか?」と聞いたんじゃないかな・・。
それに対してオヤジさんはどうしたかというと、
私の問に構わず、下の客席から舞台上の妻役山田昌さんに「お前ら何やっとるんだ!」と叫んだのだ!<要するに芝居を続けていたということ>
そのセリフを言いながら私の手を借りて、何事もなかったかのように舞台上へ登り戻ったのだから信じられない。
舞台上の出演者は呆然としていたのは言うまでもないし、事実、皆顔が引きつっていた。
セリフを投げられた昌さんは「大丈夫ですかお父さん」てなことをしゃべったと思う。
それに対して「ああ、大丈夫に決まっとる」とはオヤジさんのセリフ。
こうして元の台本通りに戻り、その後芝居が続けられていって無事終演したのだ。
これを見ていたお客さんは「凄い演出ですね」だって。
「冗談じゃないよ、毎回落ちてたら体持つわけないよ。客は本気であれが演出と思ってるのかねぇ?」はオヤジさんの弁。
無事だったはいいけど、その後が大変。終演後中日病院へ直行してまず精密検査を受けた。
脳、骨など精密検査をしたが、「どこも異常ないですね・・。」と院長。
「そうですか、どこもなんともないですか!ケケケ・・・」はオヤジさん。
翌日の中日スポーツへはこのエピソードが掲載されていた。
オヤジさんの談話入りで「客はあれが演出だって思ったらしいのね・・」
数日後、堺正章さんが陣中見舞いに来て「植木さん客席に突っ込んだって、本当ですか!?」
「そうなんだよマチャアキ。そんで客はあれが演出だって思ったらしいのね・・」
オヤジさん客はあれが演出だなんて思っていなかったですよ、絶対。
劇場<役者も観客も裏方も>が凍った瞬間でした。<万が一座長に何かあったら舞台は中止されてしまう=大損害>
演出だったんじゃないかと後から思った人がいたとしたら、それは植木等があの大事件の後も、何食わぬ顔で平然と芝居を続け切ったからでしょう。
しかしあれが70歳を過ぎた人間が骨1本折れず無事だったのは奇跡的としかいいようがない。
オヤジさん、私はあなたの強運ぶりを幾度となく見ましたが、やはり星というものがあるのでしょうか・・。
そうして大入り満員のうちに千秋楽となり、もう次回作の話が出るほどでした。
当時この「名古屋嫁入り物語」シリーズが中日劇場の観客動員記録を作ったとのこと。
心底心配する弟子の姿をオヤジさんはどう感じたか・・。今思い返してみれば、これ以後もますます私は可愛がってもらったように思う。
この話でいいたかったことは、植木等は大強運の持ち主だったということ。
「およみでない?」
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