シーマ大事件③からのつづき
シーマが凹んでいる状況について聞くべく、急ぎ植木邸へ入ろうとしたのだが、その前に無意識的というかとっさににシーマセールスマンに私は問うた。
「シーマは保険入ってますよね?」
「・・・はい」:セールスマン
<これを聞いたのは、凹んだ原因が○○だろうというコンセンサスが暗黙の中に存在しているのを感じたのと、○○をかばう本能が働いたのだろうと思い返すのだが・・・>
確認して私ら3人は家へ入っていった。
「帰りました」と玄関で言い、セールスマン2人を招きいれた。
「おう」とリビングから植木の声。
私を先頭に3人がリビングに進み、あの・・と口から今今出ようとするその寸前に、
「どうだった?」と植木が勢いのある声で聞いてきた。
どうだったって・・・・、こっちが気合入れて問おうとしている時に先を取られたのである。
人間まったく予想してない展開がくると、どうなるかご存知だろうか。(立会いで高見盛から張り手されたようなものだ)3人はまさに”ハトが豆鉄砲くらったような顔”をしていたに違いなく、私は段取りが狂ったことに対応し切れなかった。
2011/06/23
2011/06/16
シーマ大事件③
-シーマ大事件②からの続き-
BMWとシーマの2台を試から乗車して良い方に決めるということになって、まずはBMWから試乗することになった。
BMWのセールスマンは当然助手席に乗り込んだのだが、シーマのセールスマンは植木と2人残されるのを緊張から敬遠したのか、少し遅れて私も乗りますテイで後部席に乗りこんだ。
いよいよ試乗である。
BMWは5シリーズの運転をしたことがあったが、7シリーズは初めてである。5シリーズではスポーティーな印象を持っていたが、7シリーズでもラグジュアリーさがありつつも走りが自慢と、セールスマンはやたら走行性をプッシュしてくる。(自分とこの車を買ってもらわないと意味がないのだから当たり前か)
環八から小田急線脇の道に入り、駅前ロータリーを転回して元きた道を戻る。走行性といわれても、これくらいの距離と道では感じようがなかったのが正直なところ。
まあセールスマンに期待させるためにも、「いいですね~」てなことを答えながら坂道を登っていった。この丘を登りきって少し下ったところが植木邸だ。
フロントノーズがアップサイドからダウンサイドへと向きを変え、植木邸の塀とその前に真っ白なシーマのテールランプが見えた。オヤジの姿は見えない。家に入ったのだろう。
乗り換えるべくシーマの後ろに車を停めて3人が降りた。
発売したばかりのシーマはまだ座席にビニールが被っているのだからまさに新車、植木等に見せるためにおろしてきたのかもしれない。
とその時、シーマのセルスマンが突飛な声を出した。
「あれっ!」
何事かと私ともう一人が声の方へ近寄ると、シーマの左後ボディーがベッコリ凹んでいるではないか!
「ええーっっ」
私もこんなふうに叫び、もう1人も同じようなリアクションをしたと思う。
とにかく3人ともすぐに状況が飲み込めなかったのと、とくにシーマのセールスマンは焦りまくっていた。当然だろう、シートにビニールが被ったままのまっさらシーマがおもいっきり凹んでいるのだから・・・・。
状況とこれに至った可能性を分析しつつ、まず1人残ったオヤジに話を聞いてみることにしよう。
-つづく-
BMWとシーマの2台を試から乗車して良い方に決めるということになって、まずはBMWから試乗することになった。
BMWのセールスマンは当然助手席に乗り込んだのだが、シーマのセールスマンは植木と2人残されるのを緊張から敬遠したのか、少し遅れて私も乗りますテイで後部席に乗りこんだ。
いよいよ試乗である。
BMWは5シリーズの運転をしたことがあったが、7シリーズは初めてである。5シリーズではスポーティーな印象を持っていたが、7シリーズでもラグジュアリーさがありつつも走りが自慢と、セールスマンはやたら走行性をプッシュしてくる。(自分とこの車を買ってもらわないと意味がないのだから当たり前か)
環八から小田急線脇の道に入り、駅前ロータリーを転回して元きた道を戻る。走行性といわれても、これくらいの距離と道では感じようがなかったのが正直なところ。
まあセールスマンに期待させるためにも、「いいですね~」てなことを答えながら坂道を登っていった。この丘を登りきって少し下ったところが植木邸だ。
フロントノーズがアップサイドからダウンサイドへと向きを変え、植木邸の塀とその前に真っ白なシーマのテールランプが見えた。オヤジの姿は見えない。家に入ったのだろう。
乗り換えるべくシーマの後ろに車を停めて3人が降りた。
発売したばかりのシーマはまだ座席にビニールが被っているのだからまさに新車、植木等に見せるためにおろしてきたのかもしれない。
とその時、シーマのセルスマンが突飛な声を出した。
「あれっ!」
何事かと私ともう一人が声の方へ近寄ると、シーマの左後ボディーがベッコリ凹んでいるではないか!
「ええーっっ」
私もこんなふうに叫び、もう1人も同じようなリアクションをしたと思う。
とにかく3人ともすぐに状況が飲み込めなかったのと、とくにシーマのセールスマンは焦りまくっていた。当然だろう、シートにビニールが被ったままのまっさらシーマがおもいっきり凹んでいるのだから・・・・。
状況とこれに至った可能性を分析しつつ、まず1人残ったオヤジに話を聞いてみることにしよう。
-つづく-
ラベル:
2. 植木等考,
シーマ大事件,
植木号・シーマFY33型
2011/06/10
シーマ大事件②
![]() |
| <シーマ前の植木号・メルセデス・ベンツW126> 高速走行性が高評価・直線は地面に吸いつくと表現された・フロントマスクは威圧感のカタマリである (当然ながらこのナンバー車はもう存在していない) |
植木家へ上がると植木とセールスマン2名がソファに座っていた。
片方のセールスマンは植木が懇意にしている自動車屋さんだ。
「おう、来たか」と植木。
「新しい車に取り替えるからって連絡したら、乗り比べてくださいってことだから。ベンベと日産な、これ2台乗って、いい方に決めるから。」(ベンベ=BMW、日産=シーマ)
「じゃあ、早速行くか」
ってことになって、外へ。
車庫には上写真のベンツが存在感大きく停まっていて、セールスマンがチラチラ目線を送っている。下取り勘定があるのだろう・・。
「じゃあまずお前ベンベ乗ってこいよ。おれは待ってるから」こう言われて、
「そうですか、じゃあ行ってきます」となった。
日産のセールスマンは自分とこのシーマを売りたいに決まってるわけだから、BMWに乗ってもしょうがないのだが、私がどういう反応なのか気になったのと、残されて植木と2人きりになっても緊張するだけで遠慮したのもあったのか・・。私も乗りますと言って、結局私とBMWのセールスマン、日産のセールスマンの3人がBMW740iに乗り込んでの試乗となった。
この後起こるアンビリーバブルな<大事件>がそこまで迫ってきていた・・。
-時間がないから続きは後で・つづく-
「およみでない?」
ラベル:
2. 植木等考,
8. 全ページ,
シーマ大事件,
植木号・シーマFY33型
2011/06/06
シーマ大事件①
![]() |
| <いわゆる植木号実車・私が運転していた頃の日産シーマFY33型> グレード:41LX / エンジン:V8 4.1L VH41DE / 油圧アクティブサスペンション装備 (実は41LXではなく「VIP」を購入するはずだった・この話も後ほど) |
| <ナンバーは現在も同じ(所さんオーナー)・35の2桁がイイですね♪ 「このままで乗りますよ」と引渡し時の所さん談> 掲載誌(左写真)→『NEKO MOOK1222 所ジョージの世田谷ベース』 BSフジ(TV)→『所さんの世田谷ベース:第38回』> |
このシーマは新車から所さんのところにいくまでの12年間、私が運転していた(オヤジさんが運転するはずもなし)とても愛着のある車なのです。
植木等はスターらしく多くの車を乗り継いできました。昭和40年ころにはサンダーバードと初代日産プレジデントの2台持ちの頃があったとか。(なんという組み合わせだ!)
車は2台を常に所有していました。これはいざ故障時に慌てないようにとのこと。
シーマの前はベンツで、その前もベンツというように外車好きだった植木がなぜ国産車にしたのか。
これには驚くべきエピソードがあったのだ。(このエピソードは私と植木しか知らないはず!?)
ラベル:
2. 植木等考,
8. 全ページ,
シーマ大事件,
植木号・シーマFY33型
2011/05/06
『Discover Japan』"やりたいことと、やらなければならないことは別" by 植木等
| Discover Japan (ディスカバー・ジャパン) 2011年 06月号 エイ出版社 2011-05-06 ・特集 元気が出る言葉 ■ニッポンを元気にした偉人の言葉 ”植木等” <解説:藤元康史> |
5月6日発売・『Discover Japan』・枻(えい)出版社に「ニッポンを元気にした偉人の言葉」として、植木等『やりたいことと、やらなければならないことは別』が掲載され、この言葉を私が解説しています。
昭和芸能史において「植木等」は最も功を残した人物の1人といったら、賛同する意見は多いはずだ。
昭和芸能界に君臨したキング・オブ・プロダクション「渡辺プロダクション」のトップスターとして歌・映画・舞台・テレビにと活躍したことは、今でも色あせていない。
では、恵まれた環境の中、思い通りに芸能界を泳いでいったかというと、全くそうではなかったのだ。
2011/05/02
ザ・接点「植木等と志村けんの関係」
1995年植木の弟子となってから2007年に没するまで、植木等と志村けんは一度も顔を合わせていない。・・・・・・はずである。私が志村さんと会っていないのだから。
しかし一度だけ、近いところに志村さんが来たことがあった。
1996年明治座で植木が座長をした「大江戸気まぐれ稼業」の楽屋での話。
某芸能プロ代表「植木さん、今志村けんが客席で観てるわよ、若い女の人と一緒」
植木「志村観てんの?ふ~ん」
この日志村さんは植木の楽屋に顔を出さなかった。
なぜだろうか。
しかし一度だけ、近いところに志村さんが来たことがあった。
1996年明治座で植木が座長をした「大江戸気まぐれ稼業」の楽屋での話。
某芸能プロ代表「植木さん、今志村けんが客席で観てるわよ、若い女の人と一緒」
植木「志村観てんの?ふ~ん」
この日志村さんは植木の楽屋に顔を出さなかった。
なぜだろうか。
ラベル:
2. 植木等考,
8. 全ページ,
ザ・接点,
植木等と志村けんの関係
2011/04/26
「HUM STUDIO」をオープン
5月に「HUM STUDIO」をオープンします。
HUMは「Hitoshi Ueki Memorial」の頭文字で、植木等に関する展示を併設します。
スタジオは一般非公開・スタジオのフォト、動画がアップ予定です。
HUMは「Hitoshi Ueki Memorial」の頭文字で、植木等に関する展示を併設します。
スタジオは一般非公開・スタジオのフォト、動画がアップ予定です。
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