2011/05/02

ザ・接点「植木等と志村けんの関係」

1995年植木の弟子となってから2007年に没するまで、植木等と志村けんは一度も顔を合わせていない。・・・・・・はずである。私が志村さんと会っていないのだから。

しかし一度だけ、近いところに志村さんが来たことがあった。
1996年明治座で植木が座長をした「大江戸気まぐれ稼業」の楽屋での話。

某芸能プロ代表「植木さん、今志村けんが客席で観てるわよ、若い女の人と一緒」
植木「志村観てんの?ふ~ん」

この日志村さんは植木の楽屋に顔を出さなかった。
なぜだろうか。




植木に挨拶にいくのをはばかられる何らかの理由があったか・・・。
植木やほかに自分(志村)が観に来ていると知られたくなかったか(ようするにこっそり観て帰りたかった)・・・・。女性と一緒というのはどちらにもトラレルよねえ・・。

まあ、とにかく志村さんは楽屋に来なかった。
植木はこのことについて何も発しなかったが、内心は何で来ないんだ?と考えていたと私は思う。

志村が観にきたのは、69歳の植木がどんな座長芝居をするか観て置かずにはいられなかったからだろう。
それはこれから先の自分にも当てはめて、興味のわかないはずのないことである。

顔を出さない程度の関係なんだろうと当時私は解釈していた。
しかし、「植木等ザ・コンサート”いろいろあるよいろいろね”」1991年のパンフレットに志村けんはコメントを寄せているではないか!!

<以下本文より>
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「ウンジャラゲ」の時は色々お世話になりました。
それにしてもあなたはどういう人ですか、64歳でレコードは吹き込む、紅白歌合戦には出場する、はたまたコンサートはやってしまう。植木等ブームは20数年も前の話、ちょうど僕の青春時代でした。ともすると暗くなりがちな時でしたが、いつかはああなりたいと思っていました。なのに昨今のこのブーム、と形容するのではなく、”永遠のスター”そんな陳腐な形容詞しかみあたりません。
喜劇やコントに限らずどのような世界でも一流の条件は他との格差(オリジナリティー)。植木さんのそのオリジナリティーの源はなんなのですか、切磋琢磨してできるものか、それとも天性のものなのか、もし天性のものだとするならあまりにもやりきれない。
植木さん、まだまだ続けてくださいコントを歌を、僕らは植木さんの背中を見て追い続けます。
大尊敬する植木さん、あの高笑いをいつまでも。

志村けん
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<引用ここまで>

私が植木のところにいく前にコメント寄せるほどの関係があったのだ!<私は没後の資料整理でパンフをみて気付く>

「8時だヨ!全員集合」を見て育ったドリフ世代の私としては、植木・志村のやり取りをこの目で見たかった。本当に見たかった。
志村さん、明治座の楽屋覗いて欲しかったです。

(敬称略)

1 件のコメント:

  1. いいえ
    植木さんと志村さんの共演はしたことがありますよ
    スペシャル番組です

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