2011/05/06

『Discover Japan』"やりたいことと、やらなければならないことは別" by 植木等

Discover Japan 6月号


Discover Japan (ディスカバー・ジャパン) 2011年 06月号

エイ出版社 2011-05-06


・特集 元気が出る言葉
■ニッポンを元気にした偉人の言葉 ”植木等”
<解説:藤元康史>


5月6日発売・『Discover Japan』枻(えい)出版社に「ニッポンを元気にした偉人の言葉」として、植木等『やりたいことと、やらなければならないことは別』が掲載され、この言葉を私が解説しています。


昭和芸能史において「植木等」は最も功を残した人物の1人といったら、賛同する意見は多いはずだ。
昭和芸能界に君臨したキング・オブ・プロダクション「渡辺プロダクション」のトップスターとして歌・映画・舞台・テレビにと活躍したことは、今でも色あせていない。
では、恵まれた環境の中、思い通りに芸能界を泳いでいったかというと、全くそうではなかったのだ。



『やりたいことと、やらなければならないことは別』
これは植木から発せられた言葉の中から、私が最も心に残った言葉だ。

植木等は大学を卒業して間もなく結婚し、翌年には長男が生まれている。終戦直後の何もない時代で、食っていくのに相当な苦労をしたと聞いた。
ギターを月賦で買い、教則本片手に独学でギターの練習をし、バンドボーイから始まったのである。
徐々に歌う機会が与えられ、軍需工場慰問では女工さんに相当な人気を博したらしい。二枚目路線を意識していくのは自然な流れだったと思われる。

しかし、「フランキー堺とシティスリッカーズ」のバンドメンバーとして参加するころから、ギャグマンの素養が隠しきれないものとなり、その後「ハナ肇とキューバンキャッツ(後にクレージーキャッツ)」に参加したのは周知の通りである。

クレージーキャッツではジャズ喫茶からフジテレビ「大人の漫画」、「スーダラ節」へとステップすることになるのだが、スーダラ節のオファーを受けた時、ためらったのは有名な話だ。植木は普通の歌が唄いたかった。すなわち2枚目でいきたかったのだ。

しかし、大人の漫画にでている状況、周りから期待される路線などを考慮して決心し、スーダラ節の録音へと臨んだ。
スーダラ節の録音は大変だったと本人が話し、また関係者も証言する。
なにせ、前例のない歌だ。あの植木でさえなかなか自分のものにできなかったのだ。

当時の録音はバンドと歌の同時録音。<信じられない!!>
ようするに、バンドが演奏する中、唄うのだから、どちらが失敗しても録り直しとなるのだ。
レコーディングでは、唄のNG、バンドのNG、その内バンドの笑い声が入ってNGなんてとんでないことになっていたと、青島幸男氏が回想している。(NHKハイビジョン「スーダラ伝説・植木等夢を食べ続けた男」)
朝から夜になってもまだOKがでない。
いいかげん疲れて、なかばやぶれかぶれだったか、どうでもよかったのか、本人曰く適当に唄ったのが良かったと採用されることになったとのこと。
「いいかげんに唄ったから1番と2番では節回しが違うんだ」とは植木談。<これは検証する予定>

この歌が大ヒットし、映画「ニッポン無責任時代」へと大ジャンプすることとなるのだ。
そして植木の代名詞ともいえる「無責任男」がシリーズ化され、大スターへの道を駆け上がっていった。

普通の歌を唄い、2枚目でいきたかった植木等。
「自分の望むものとは違ったけれども、与えられたものを一所懸命やったおかげで、僕は芸能界で成功することができた。」
植木が長い芸能生活を振り返った言葉・・・、

『やりたいことと、やらなければならないことは別』 :Voice by UEKI Hitoshi.


・・・実はこの言葉には続くことばがある。
『感謝するということ』
「自分にこういう歌を唄わせようと考えてくれること、歌を作ってくれること、自分の為に人が準備してくれるということほど有難いものはない。感謝するということだね。」


「およみでない?」

---------<最後に>----------------------------------------------------------------------------------------------
植木等を選び私に声をかけてくださったエイ出版社の椎野真里子さん、ありがとうございました。 →「Discover Jpan」編集部ブログ
植木の言葉と、私の言葉をまとめ表現してくださったライターの山内美貴さん、ありがとうございました。 →山内さんのワークユニット「AMu.」のブログ
植木との関わりは至上の喜び、2人にお礼をいいます。

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