植木等の誕生日がなぜ実際と戸籍上が違ってしまったのかを記しておきたい。
ウィキペディアを参考にさせていただきながら、確認・解説してみたいと思う。
■1926年12月25日 愛知県名古屋市で出生(戸籍上は1927年2月25日)
これは通説・wikipediaの通りで、大正天皇崩御の日に生まれ、父親が体を壊していた等の理由(なぜ他人に出生届の手続きを頼んだか、私も本人から曖昧にしか聞けていない)で叔父保之助へ出生届を頼んだが、叔父が届出を忘れてしまったために翌年になった。
生まれた25日が大正最後のなので翌日12月26日は昭和元年になり、年が開けて1月1日は大正2年になったため、戸籍上は大正15年から昭和2年になったということである。
本人は表向き昭和生まれとなったことはイメージ的に「良かったよ~」と語っていた。
この届けが遅れて出生日が変わった話は植木本人から何度も聞いているが、届出を3ヶ月叔父が忘れていたというのはどうも疑問に思っている。
これは植木の母実家である伊勢西光寺に機会があれば聞いてみたい。
私は植木没後に1人伊勢西光寺を訪れ、植木の話や植木の父徹誠氏の話などを聞かせていただいた。
また植木生前の話だが、名古屋中日劇場出演中の合間に、三重県栗谷の常念寺跡も1人訪れている。
これは植木の母実家である伊勢西光寺に機会があれば聞いてみたい。
私は植木没後に1人伊勢西光寺を訪れ、植木の話や植木の父徹誠氏の話などを聞かせていただいた。
また植木生前の話だが、名古屋中日劇場出演中の合間に、三重県栗谷の常念寺跡も1人訪れている。
0 件のコメント:
コメントを投稿