保沢さんが高校を卒業した当時は就職難だったそうで、東京衣装の社長が学校の先輩だったツテで入社したとのこと。東京の右も左も分からないいわゆるお上りさん状態だったが、何せ番組スタートから8ヶ月休みなしで放送したわけだから、いやでも関係は深まり気心が知れてくるのは当たり前で、クレージーのメンバーには可愛がってもらったそうである。
「おい、今日な銀座の◯◯だからな、お前見に来いよ」とか「おい、飯喰いに行くけど一緒に来るか」
というようなことだったらしい。しかし8ヶ月休みなしの生番組とはいったいそういうことなんだ。大変だっただろうが、クレージーにしてみれば毎日テレビに出られるわけで、それまで一部のコアなファン層が一気に全国区へと広まったのだ。おそらく毎日が楽しくて仕方がなかったのではないだろうか。この辺は植木婦人に今度聞いてみようと思う。(私は今でも植木婦人の元へ1ヶ月に1回程のペースで通う)
これがいよいよスター街道を駆け上っていく始まりであり、「テレビの黄金時代」の始まりである。小林信彦詳しくはテレビの黄金時代 (文春文庫)参照
おとなの漫画の場合、時事ネタを生でやるわけで、「朝刊の紙面からネタをひろって書くわけですから」と作家陣である青島幸男さん、砂田実さん両氏から同じ話しを聞いたことがある。
昼の番組だからゆっくり本を練ってもいられないわけで、出来上がるとスタッフが手書きで!できたての台本を写して配ったそうである。
でき上がった台本をもとに衣装を用意するわけだが、そんなんで間に合うんですか?と聞くと、「だいたい今日はこのネタだから登場人物がこうなるとか分かるわけだよな」と保沢さん。
そうして、役にあった衣装を毎日提供していたわけである。
ところで、保沢さんにオヤジさんの没後会うのは2度目だ。年末12月にも1度目のインタビューをしている。今回2度目だから、前のものを整理してさらに聞きたいことをまとめて望んだのだが、結構同じ話でループしがちになり(笑)、本線に戻しながら進めていったが、おさらいしながらしたと思えばよかったのかもしれない。
そして実は今回保沢さんに渡したかったものがあったのだ。
それはオヤジさんの自前の衣装なのだが、なぜ保沢さんに植木等の上着をもらってもらいたかったかというと、保沢さんは「おとなの漫画」以降もお正月の名物番組「新春かくし芸」CX(企画はなんとコリャまた椙山浩一さん!!)を担当し、オヤジさんに紋付袴の着付けをされていた。これは仕事なのだから特別な話ではない。じつは保沢さんは番組担当を離れてからも、毎年正月に植木等に紋付袴を着付けするためだけにフジテレビへ足を運んでくださっていたのだ。ボランティアということ。
毎年顔を出して今年も元気ですという挨拶ということだろう。しかし仕事でもないのに嫌な顔1つせずに毎年何十年と来ることができるだろうか。そこに入社以来の保沢さんの気持ちを私は見た。これが保沢さんにもらってもらいたかった理由である。
今回出かける前に保沢さんに電話でオヤジさんの上着を貰ってもらえませんか?と尋ねた。
保沢さんはサイズが無理だよという。背は同じくらいなのを知っていたから、問題は胴、胸回りということになる。
私は「いや、大丈夫でしょう、大丈夫と思います。とにかく持ってってみますから」と電話切った。
photo:ネーム[植木] |
いくつか保管している衣装から保沢さんに似合いそうなのを選び持ち、着くなり着てもらったが保沢さんの体には合わなかった。合いませんでしたねえと言う私に、
「俺、プロだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「オヤジさんの体型も知ってるしさ」
「そうでした、プロ中のプロでした」
「気持ちだけもらっとくから」
そうして上着は持ち帰ったのだが、せっかくだから上着にも登場願おう。
見ていただきたいのは襟裏のネームだ。
通常は胸内ポケット付近に入るものだが、オヤジさんの上着の多くはこの襟裏にネームが入っている。遊び心なのか。
私にもいたずらっぽく話されていたのを思い出した。
「これネーム入ってないだろ?」
「ホントですね」
「ここに入ってんだよ(襟をクルッと裏返しながら)、洒落てんだろ」
ちなみに多くの自前衣装を注文したのは[テーラー岩田]である。
素人から見ても仕立ての良さが一目で分かるし、着ればわかるという感じ。オヤジさんの友人に「植木さんどこで服作ってるの?紹介してください」と言わしめたほどである。
大変お洒落れでございましたよ。
「およみでない?」
つづく