2011/11/25

ザ・接点 立川談志

立川談志贈呈の添状と『談志楽屋噺』
立川談志さんが亡くなったニュースが流れている。

小さん師匠に入門後、早くから頭角を現して二十代で真打へと昇進した。
その後、本業である落語での活躍はもちろんのこと、笑点の初代司会者、師匠に反抗して落語協会脱退、参議院議員になり政務次官になるも問題発言で辞任などなど話題性に富んだ落語家だった。
噺家のトップスターだったといっても過言ではない。

2003年頃だろうか、植木のオヤジさんから「これお前にやるよ、おもしろいから読んでごらん」と渡されたのが、写真の本『談志楽屋噺』白夜書房1987年である。
本を開いてみると談志さん直筆の添状(走り書?)がはさまっていて、本にも「植木等さん江 立川談志」と書かれていた。

おやじさんはよく本をいただいた。これはお近づきのしるしやお礼の時もあるだろうが、やはり宣伝も兼ねているのは言うまでもない。本を出しましたという植木等(に限らず皆へのだが)へのアピールである。

「談志がサインくれっていうから書いてやったんだよ」とオヤジさんから聞いた。(植木等のサインは芸能人からもよく頼まれた)
おそらく、楽屋か対談なんかで会う機会があったのだろう。そのサインに対する礼がこの本だったんだという趣旨と当時解釈したのだが・・。

クレージーの怪盗ジバゴ

そこで植木等と立川談志の接点をみてみると、1967年東宝映画『怪盗ジバゴ』で共演している。

談志さんは工員役で出演しているが、若いころの談志さんは言われないと私には分からなかった。「あーこれが談志さんだ」という具合。
談志さんのキャスティングがどういった経緯だったのか定かではないが、この共演についてオヤジさんに聞いておけばよかったと思っている。




この『談志楽屋噺』は確かに面白い。一番気に入った所を紹介しよう。
昔の噺家の酒、女、博打で身を持ち崩す人が多数いたことが紹介されていて、噺家の自殺が多いのとメチャクチャな話が多い。
----------------------------以下引用(P36より)--------------------------
朝之助と私と馬次兄ィと三人で池袋の闇市で飲んでた。隣のお客が一杯飲めと酒を注ごうとする。「いいよ、いらない、結構です」と言うのに、どうしても注ぐという。それじゃあてんで、ついでもらって飲んでたら、今度は「おまえのもよこせ」と言う。なんだ、この野郎って顔を私がしたら、馬次が殴っちゃおうと言う。「よしなよ」って言ったら、なんと「頼むから殴らしてくれ」と言う。なんなんだろう、「頼むから殴らせてくれ」―と言うのは・・・・・・。結局、殴っちゃったけど。世の中をすねてたわけでもあるまいに、世間が落語家の若手を拒否したわけでもあるまいに・・・・・・。
----------------------------引用ここまで--------------------------------
(この馬次さんも後に自殺されている)

戦後芸能界(落語も含めて)の一端を表していると思うのだ。
ジャズバンド時代から映画、テレビへと時代が移っていく過程は高度経済成長と重なっている。
とてつもないエネルギーに溢れていて、多くの不条理がまかり通っていた。

談志さんは戦後芸能界を引っ張った植木等に共感していたのではないだろうか。

添状の裏
やぶり取ったような絵葉書(おそらく表紙)はたぶん書くものがなくて、とっさに書かれたのだと思う。

裏を返してみると、「ありがとう」シールが貼られていた。

毒舌で怖そうに映る人物像は裏返しではなかろうか。
『談志楽屋噺』は亡くなっていった噺家への愛情に溢れている。




「およみでない?」

2011/11/16

オヤジさん、この車は勘弁してください・・。

キャデラック・フルサイズリムジン
河口湖旅行でのスナップ-2000年頃

植木等はスターらしく外車を乗り継いできたが、シーマ大事件によって国産車シーマがやってきたことは前に記した。(海外では逆なわけで、もちろんシーマはグローバルにすばらしい車)

シーマを乗るようになって数年経っていただろうから2000年前後じゃないだろうか。植木家ではドイツから愛娘家族が帰郷していて、河口湖へバカンスへ出かけることになっていた。

そんな中、高橋さん(小松政夫さんがオヤジさんの付き人になる前の運転手で、たしか芸能人志望ではなく、植木等が好きでオヤジさんの元にやってきた人)という植木家とは旧知の人が訪ねてきていて、その時河口湖へ出かける話が出た。
「それならうち(高橋さんの勤め先)の社長のキャデラックで行きましょうよ。私が運転しますから。」
と高橋さんの申し出があっさり決まったのだった。

さすがに私は定員オーバーで乗れないから、期間中休みだな♪と期待したのも束の間、
「ああ、大丈夫リムジンだから、藤元さんも乗れますよ・・。」
「・・・・・・・・・・・・。(乗れなくていいのに)」
「お前も来いよ」とオヤジさん。
「分かりました」(断れるわけないよな)

こうして写真のキャデラックで河口湖へ出かけてきたのだが、
道中「このキャデラック買いませんか」セールスが連発されることになる。
高橋さんは別に他意があるわけでなく、単にオヤジさんに乗ってもらいたかったのだろう・・。

「いいよ~キャデラック、ねえいいでしょう?」
「フジモトさんも運転してみてよ」
「いや、運転はいいです、デカ過ぎますよ」
「大丈夫だって、1回乗ればわかるって」
「デカすぎて怖いですよ(こんな車がやってきたらどうなるんだ!)」

ってなやり取りがあって、結局試運転は断り通したのだったが、オヤジさんにも最後まで粘っていただタカハシさん。

それで河口湖でオヤジさんと2人きりになった時、
「どうだ、キャデラック」
「オヤジさんあの車は勘弁してください・・。あの車が家に停まっていて、出かける姿は想像できないです。」
「そうか、わかったわかった、カカカ・・・」

こうして、キャデラック・リムジンが植木家へやってくることは回避できたが、それにしても日本でこの車を乗るってどういうことなんだ。
今では考えられないが、そういえば昔、志村けんさんはリンカーンのリムジンに乗ってたんじゃなかったかな?まさか今は乗ってないだろうけど。

時代だねえ。

「およみでない?」